介護施設に入るのはかわいそうなことなのか|おじいちゃんが実家よりよく話すようになった話

介護施設に入ったことで、実家にいた頃より人との会話が増えることもあります。施設入居は、必ずしも孤独になる選択ではありません。 親の介護・相続

施設に入る前は、家を離れることへの迷いがあった

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おばあちゃんが亡くなったあと、おじいちゃんは実家で暮らしていました。

長く生活してきた家です。
思い出もあります。
簡単に離れられる場所ではありません。

家族としても、すぐに「施設に入った方がいい」とは言えませんでした。
本人にも、子どもたちに対する遠慮があったと思います。
子どもたちにも、「家を離れさせるのはかわいそうではないか」という気持ちがありました。

家族で話し合い、施設に入ることになった

それでも、家での生活には少しずつ不安が出てきました

見守り。
食事。
体調の変化。
日々の安全。
何かあったときに、すぐ対応できるかどうか。

そして、おじいちゃん自身が笑ってるところを見る機会が、すごく減ってる気がしていました。

私の目には常に寂しそうに見えるおじいちゃんの顔が、今でも浮かんできます。

父の兄弟であるおじさんたちと、両親とで今後のことについて話す機会が増えていきました。

そして最終的には、おじいちゃん本人も交えて話し合い、施設に入ることになりました。

もちろん、簡単な決断ではありません。
本人にとっても、家族にとっても、長く暮らした家を離れることには重さがあります。

入ってみて分かったことがある

でも、実際に施設に入ってみて分かったことがあります。

おじいちゃんは、実家にいたころよりも、よくしゃべるようになりました。

施設では、職員の方が声をかけてくれます。
同じ施設にいる人とも顔を合わせます。
食事の時間、移動の時間、何気ない日常の中で、自然に会話が生まれます。

実家に一人でいると、どうしても会話の相手は限られます。
年を取ると、活動範囲も狭くなります。
昔からの友人も減っていきます。
外に出る機会も、少しずつ少なくなります。

その中で施設に入ったことで、おじいちゃんには新しい話し相手ができました。

施設に入ったことで、友人が増えた

家を離れることは、寂しいことだと思っていたと思います。

でも、おじいちゃんにとっては、施設に入ったことで人との関わりが一気に増えた面もありました。

毎日、誰かが名前を呼んでくれる。
誰かと顔を合わせる。
ちょっとした会話がある。
それが、本人にとって大きなストレス解消になっていたようです。

家にいるだけでは、わからない発見でした。
施設に入ることが必ず不幸とも限らないと、今でも思っています。

これは、実際に経験してみないと分からないことでした。

施設を考えることは、介護をやめることではない

介護施設を考えるとき、家族にはどうしても罪悪感があります。

「家で見てあげられないのか」
「施設に入れるのはかわいそうではないか」
家族が楽をするためではないか

そう考えてしまうこともあります。

でも、施設は家族が介護を放棄する場所ではありません。
本人の生活を整える場所になることもあります。
人とのつながりを取り戻す場所になることもあります。
家族が安心して会いに行ける関係を作る場所になることもあります。

もちろん、すべての人に施設が合うわけではありません。
本人の性格、体調、家族の状況、費用、施設の雰囲気によっても違います。

だからこそ、いきなり決めるのではなく、早めに選択肢を知っておくことが大事だと思います。

やってみないと分からないことがある

おじいちゃんが施設に入ったとき、家族には迷いがありました。

でも結果として、おじいちゃんは実家にいたころよりも人と話すようになりました。
声をかけてもらい、会話が増え、毎日の中に人との関わりができました。

施設に入ることは、必ずしも「かわいそうなこと」ではありません。

家を離れる寂しさはあります。
それでも、そこで新しいつながりが生まれることもあります。

介護施設を考えることは、親や祖父母を見捨てることではない。
家族と本人にとって、どんな暮らし方がよいのかを考えるための選択肢の一つです。

施設に入るかどうかは、すぐに決める必要はありません。
ただ、どんな施設があるのか、費用はどれくらいか、どんな生活になるのかを早めに知っておくだけでも、家族の話し合いは変わります。

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